Necromakeycon-ネクロマキコン-

唐揚げを揚げつつ横スマを振ります。

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クロブラがなくなるのが決定してから何すればいいのか悩んでるクロマキです。

 

月イチの土日のイベントがなくなると、その前週に予選組み合わせの会議をする必要がなくなり、その前週に申請開始の告知等する必要がなくなり、その前週の申請ページ作成とか前回大会の反省とかすることもなく、急に時間が増えてしまいました。

 

普段なら「時間がない」とゲームする時間も惜しんでイベントのことを何かしらやってるんですが、いざ時間ができると何をしようか悩んでしまう。この消失感からくる虚無感、なんなんでしょうね。

 

あっ、もしかして定年後の自分もこんななのか?とふと思いました。

 

結局、イベント開くとか、他の趣味でもなんでも「なにか打ち込めるもの」の存在があることは大きいと思います。自分の爺さん世代を見ているとよく思います。

 

 

自分の父方の爺さんは、とても真面目な人で、家の近くの畑を借りて毎年野菜を作っていました。

イカとかかぼちゃとか、ナスとかキュウリとかトマトとか、色々作って食べさせてくれました。

しかし、歳で足腰が弱って畑仕事をしなくなると、急激にボケが進んでしまって、孫である自分の顔も忘れてしまいました。

 

母方の爺さんはゴルフが好きで、毎週のようにゴルフに行き、定年後もゴルフ代を稼ぐため働き、足を怪我しても結構大変なリハビリをしてまでゴルフに行くようなバーサーカーです。その爺さんは「ゴルフに行ける限りは死ねない」みたいなことを言ってました。長らく会ってないですが、まだピンピンしてると聞いてます。

 

 

何かに狂ってるうちは、少なくとも自我が保たれてるので、ボケる心配はないんだろうなと。

逆に年取ってボケるのはなんだろうって考えたときに、頭を使わなくていい環境になって使わなくなっちゃったんだろうなと。

父方の爺さんは、料理を全くしませんでしたが、母方の爺さんはシメた鶏を捌いて鶏めし作ったり、釣堀の魚釣り大会で釣った魚を捌いて刺身にしたりと、料理をめちゃくちゃする人で、そのへんの影響も大きそうです。

 

なにか、自分が集中できる(狂うことができる)ような趣味って大事なんだなって。

ということで、コロナ禍でイベントが開けない今、自分が狂えるものといえば、やはりゲームか唐揚げかなのかなと思いまして。

 

ゲームは暇になったらなんだかんだ触ってるので、やはりやるべき事としては唐揚げを極めたいですね。

特に肉の漬け方、衣の調合の仕方、揚げ方、油の温度、揚げ時間等々…は、今は自分の感覚でやっていますが、いずれは確立させて明文化しないといけないなとか。

 

コロナ禍で企画自体が頓挫してしまってますが、自分が最終的にやりたいことはいまいるIT系の企業でITの仕事を何となーく続ける、なんてことではなく、唐揚げを事業化することなので。

 

今は修行できるいい機会かなと信じて宅オフとかで揚げようと思います。